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アムステルダムの写真と生活
あ、タイプミスだ


あ、BeautifulがBeautidulになってる。

まあ、いいか。

ま、それはいいとして、まずどうでもいいことなんですが、webを作る時に使っていたソフトがあるんです。知識もなくwebが作れたので便利だったんですが、それがねOSをLionにして、立ち上げたらエラーが出るんですわ。

そのソフトの会社のサイトを見てびっくりしました。

Lionには対応する予定はございません、Snow Lepardで使用してください。

って書いてあって、あまりの傍若無人ぶりに、お前はあの会社か!!あの盗人猛々しいあの会社の系列なのか!!って思ったくらい腹が立ちました。

死ぬまでこの会社のソフト買うものか!!

昔ねー、マックのアプリを使うとなんか調子悪くて、マックのサイトのサポートを読んでいたら、解決方法、このアプリを使用しないでくださいというのがありました。

最終解決法ではありますが、解決ではない気がします。

これも本題ではありません。

マックの前で作業をしている時に、戦争映画をバックに流してることが多いんですね、ボク。

今日見ていたのは、Band of BrothersというHBOテレビの第二次世界大戦時のアメリカ軍とドイツ軍の戦争ドラマシリーズものでした。

このドラマはアメリカの同じ部隊がフランスからドイツまで攻めゆく道程を描いているんですが、その第6話目が衛生兵を主人公にしてるんです。

6話の部隊は、ベルギーのバルジの森で、ここでアメリカ兵はものすごい戦死者を出した闘いだったのでした。ドイツ軍もこれを破られるとドイツ本土なので、必死に攻防していたので、
闘いは凄惨を極めました

冬の森中で闘いで、兵士が負傷したら、「Medic」と呼ばれて、衛生兵が傷ついた兵士を応急処置して、後方の野戦病院に連れてゆくを繰り返します。

このドラマで、ボクが興味深いと思ったのは、衛生兵が非常に果敢だという点です。

なんていうんだろう、兵士が撃たれ、まだ敵がバンバン銃で撃っている状態で、さっと負傷した兵士のとこにいって治療したりする。

他の兵士はじっとしているのに。

衛生兵はバッといくんですね。

他の映画でも衛生兵は、まるで自分には、銃弾が当たらないと決まっているかのように、負傷兵を救護しにゆく。

この行動に色々感じることがありまして。

調べました。

こういう行動を「愛他行動」というらしいです。

非常事態に置いて、人は他人を助ける傾向があるそうで、こういう時には、助ける人は、自分の危険は一切顧みない傾向にあるらしいです。

ふむ。

たとえばこの間の津波の時も、多くの人がそこまで津波がきているのに関わらず、子供ご老人を助けにいき、そして津波に巻き込まれました。

自分が助けないと、ある人が死んでしまうという状況で、とても勇気ある行動で、ボクは敬服するしかないのですが、ここで一つ考えるのは、なぜ「愛他行動」を起こす時に、人が自分の危険を顧みないかという点です。

顧みないというのは、きっと危機意識を感じない状態になっているということだと思うんですが、ボクは、映画を見ながらこう思いました。

衛生兵は、心の中で自分は明白な善を行っている、そんな自分に銃弾が当たるはずがないという心理です。

もちろんそんなはずはなく、衛生兵も戦場で大勢犠牲になっています。そしてこの間の津波でも多くの方がお亡くなりました。

しかし、普通の人の100倍は戦争映画を見ているボクが断言しますが、戦争映画の中で衛生兵が銃弾に倒れたことはありません。

傷ついた人を治療するという人類共通の善を行っている衛生兵が死んでは話が道徳的にややこしくなるわけです。

もちろん戦争というのは、双方が、お互いの立場において正しい、善だと思って戦っているわけで、そういう意味でパラドックではあるのですが、衛生兵は人類共通の善なわけです。

だから映画を製作する人も、なぜか衛生兵に銃弾が当たらなくしてしまう。

以前書いた、災害時の人間の行動で、自分にはそんな出来事が襲うわけがない、自分は大丈夫だと考える日常性バイアス(もしくは正常性バイアス)とほぼ意味は一緒なのではないかなとも思ったりします。

日常性バイアスは、いままで大丈夫だったから、今度も大丈夫に違いない、そして、愛他行動は、他人を救おうとしている自分に災いがふりかかるはずはないから大丈夫という心理ですね。

どちらも(〜だから)自分は大丈夫と思っている点で同じなわけです。

すなわち、人間とは、自分は大丈夫と思わないとやっていけない生き物なんだなと思いました。

そんな話でした。

ちなみに、写真は、初めてのクローン羊、ドリーくんの剥製です。

スコットランドの博物館です。

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胸元すぎれば濡れも忘れる



この間、友人宅でご飯をごちそうになりました。

大変美味しく頂きまして、一頻りお喋りもしまして、さて家に帰りましょうかねと、自転車に乗って漕ぎ出した瞬間。

ザーーーーーーーーー

と土砂降りの雨が降ってきました。

友人宅に戻ってしばらく雨宿りをさせてもらおうかなって思ったんですけど、さっきじゃあねーって言った家に戻るのはなんか忍びないので、男らしく雨の中自転車を漕ぎ続けました。

日本にいる時、雨に濡れるのが大嫌いだったんです。

詳しく言うと、電車の中で嗅ぐ、雨と人の混ざった匂いを嗅ぐと、お家に帰りたくなる病だったんですけど。

まあ、それはいいとして、アムス生活で随分雨には免疫がつきましたが、それでもバケツをひっくり返したような雨の中自転車を走らせるのはかなり切ない。

ダッフルコートを着ていたので、フードをかぶるわけです。

だからまあ上半身は大丈夫ですが、ズボンも下着もすでにズブズブです。

靴下の中にもどんどんお水が入ってきました。

ペダルを漕ぐたびにゴボゴボいいます

それは、それは、感じ悪いんですよ。

で、割に長旅だったので、最後はダッフルにも段々雨水がしみ込んできて、上着も少しづつ濡れてきました。

そして、上着もある程度雨水を蓄え、その下の服にも、そしてその下のシャツにも水が濡れてきます。

そこまでくると、なんだろう、もうへっちゃらというか、ほらもう、どんとこいというか、吹っ切れるんですよね。

アハハハハハハハッハって笑いたくなるっていうか。

全く普段とは違う次元に来たというかね。

ほら、映画とかで、真面目に生きてきたサラリーマンが、なにかの拍子に羽目を外して、巻き込まれて、後戻り出来ない状態になって、最後に笑うじゃないですか。

あれってやけっぱちになっているんじゃなくて、なぜか面白くってしょうがない状態なんですよね。

普段、洗い物するときも、ちゃんと袖をまくって濡れないように、慎重に努力している自分が、いまその水になっているっていうかね。

立場が逆転するんです。

価値が無効になるっていうかね。

それが面白いんですよ。

今度皆さん、イライラしたり、ムカムカしたり、思い悩んだりしたら、是非雨の日にカッパなしで自転車を漕いでみてください。

つまらないことに悩んでいたなって思いますよ。

お勧めだ!!

でも、唯一の難点は、風邪引くことです。

家に帰って、即服を脱ぎ捨てて、熱いシャワーを浴びてくださいね。

シャワー浴びて、新しい服を着ると、なぜか、その脱ぎ捨てた濡れた服が非常に禍々しいものに見えます。

そして、自分の着ていた物なのに、汚い物を触るように、指2本で摘んだりします。

すっかり普段の自分に戻っています。

また映画の例えで申し訳ないですが、なんか尋常じゃない状況で、一瞬、恋が芽生えた若い二人が、普段の生活に戻って、あの時の気持ちなかったことになったりするじゃないですか。

あれを感じます。

長くなりましたが、そんな話ですた。




追伸 久しぶりにおおおお!!って思った音楽です。

なんかねー、めんどくさくて、どうでもよくって、でも言いたいことはある曲だと思うんですよねー。

どうですかねー。

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今ここにある危機希林


別に危機について書きたかったわけではありません。

先日、町を歩いていたときに、自転車にぶつかりそうになり、あぶねーと思った瞬間、頭にパッと「今ここにある危機希林」というフレーズが思い浮かんだだけです。

ほらボク最近ね、放射能、原発、金融危機と等しく誰も幸せにならないことをよくこの日記に書いていましたから、皆さん身構えちゃいましたかね?

どうですかね?

それはいいとして、最近よくカフェに行くんです。

プリントアウトした原稿を持って、フラフラと近所のカフェに歩いて行って、窓際の席に座って、鉛筆片手にコリコリと推敲をしているんですけど、その時にもちろんカフェですから飲み物を頼みますね。

ボクはカフェに行くと必ず、コーフィーフェルキエートってオランダ語ではいうんですけど、日本でいうところのカフェオレを頼むのです。

で、この店にいっても頼んだんですが「ねえ」と言われたんです。

コーヒーしかないと。

えーーーーーーーーって思ったんですけど、コーヒーを頼んで飲んだんです。

まあ1時間半とか経つと、もう一杯くらい頼もうかと、すっかり忘れてまたマスターに「
コーフィーフェルキエート」って頼んじゃったんです、言った瞬間に「あ!」って顔したら、マスターは「コーヒーでええか」と言うので、コーヒーをお願いしました。

テーブルに持って来て貰うときに、「なんで
コーフィーフェルキエートないん?」って聞いたら、「わしゃ牛乳嫌いじゃけえ」との答えでした。

実に個人的な理由で
コーフィーフェルキエートを出さない。

まあマスターの店ですから、自由にすればいい。

ええ。

あ、この店の特徴的なこととしまして、まずタバコが吸えるんです。

オランダでも数年前から飲食店禁煙になりました。

実はこの法律は、従業員の受動喫煙を禁止するということで施行されたので、従業員のいない、マスターだけの店、家族経営の店は、たまに喫煙OKのまま営業しています。

そして日本でもドトールがそうですが、喫煙OKの店は、喫煙者だけがくるようになります。

この店もそう。

近所のニコチン中毒患者が集まり、コーヒーやビールを飲みながら、ゆっくりと煙をくぐらせます。

なかなかいい店です。

お勧めです。

ええ。

それにしてもですね、推敲ですよ。

推敲って、具体的にはなにかというと、書いた文章を読み返して、分かりづらいところがあるので、まずはそれを明瞭にしてします。

重複した部分を一つにしたりとか。

そして内容に関していえば、一回書いているので、さらに踏み込んで色んなことが考えられるんですね。

最初の段階では手が届かなかったところに、初稿という踏み台があるので、手が届くようになっています。

だからとっても楽しい。

自分を踏み台に、さらにステップアップみたいな?

感じです。

自分の作品をきちんと見返すって大事ねーって思いましたよ。

大事。

さらに高みにです。

です。

正解はかならずある。

ある。



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心のあれこれ、


あら、気がついたら、すっかりご無沙汰です。

おほほ。

すっかりご無沙汰って、なんか日本語風な含みありますよね。

沙汰が無いだって。

ぷぷ。

って調べてみたら、沙汰って、便りや知らせって意味があるんですね。

知らんかった。

世の中、知らないことだらけじゃな。

それにしても、ほら、皆さんも文章を書いたりすることありますよね?

色々ほら。

ね。

ボクも書くんですけど、ちゃんと書けることって、ボクがきちーんと分かっていることだけなんですよね。

もちろん、説明することはできますよ。

でも、書くとなると分かっていることだけなんだよなーってつくづく思います。

ええ。

説明と、書くの違いは、頭に届くのが説明で、心に届くのが書くかなあって思っています。

頭と心って違うじゃないですか?

頭では分かっているんだけど、心がダメっていっているんですとかね?

そうそう。

左脳が頭で、右脳が心なんじゃないかなーって最近思います。

どっちも頭なんですけどね。

ほら、心って抽象的で、液体なイメージで、頭って具体的で、固形なイメージです。

たまにボクにも頭がいい瞬間が訪れるんですよ。

すっごいたまにですケド。

その時って、頭にテトリスみたいに、固形の情報が積み重なって、繋がって、一つの空間を満たしている感じがします。

そういう時って、分かるんですよね。

色んなことが。

フワーって。

地平線が広がったみたいに。

ああ、なるほど、なるほど、と。

だからかーって。

でも、またウニ頭に戻ると、またグニュグニュのあほうになるんですけど。

うふふ。

そうなると、目の前の現実に反応する受容体みたいになるんですよね。

でもその状態もまたよくって、その受容体って、ボクの人生のエッセンスをグダグダにして、混ぜ込んだボクの感性だったりするわけです。

未完の。

はっきりと理屈は分からないけど、こう反応するのがボクにとって嘘が無いってが基準になる。

嘘をつくと、やっぱりざらっとしちゃう。

だからなるべく嘘をつかないように反応するように心がけています。

あれ?

何か書こうと思っていたんだっけ。

そうそう、赤ちゃんを産んだ友人に会いまして。

その赤ちゃんを見ていると、段々心が出来てきた気がするんですよ。

それで、心ってどこからやってくるのかなー、どうやって心って形成されるんだろうって、思ったりするわけです。

ほら、兄弟がいる人なら分かるけど、同じ親から生まれたのに随分違うパーソナリティーじゃないですか?

あれってビックリしますよね。

なんでじゃろーって。

しかも、子供時代に形成された心が結構大人になっても同じだなって思う訳です。

それはそれは面白い。

なんかね、環境に左右されない、心の核がある気がするんです。

うん。

どうにかなる心と、どうにもならない心と。

そこなー。

どうにもならない心は一体なんなんだろう。

どこから来るのか。

って思いまする。

きっと心という種を持って生まれて、それが育つ土壌や天候によって、変化するってのが一番しっくりくるなと思ったり、思わなかったりします。

ある人は、みかんの種、またある人は、クローバーの種とかね。

その種の種類はなんかガチャガチャみたいなので、こんなんでましたみたいな感じでランダムで選ばれる気がします。

うふふ。

心ガチャガチャ論。

当たっている気がするんだけどなー。

まあ、それはいいとして、最近一番びっくらこいたことを書きますね。

それは友達から送られて来たリンクです。

多分、みんなびっくりすると思います。

ボクは心がキューってしました。

人生って色んなことがありますね。

1分50秒くらいから見ると話が早いです。

うふふ。

お楽しみあれー。

うふふ。




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パンドラの匣の一番底から飛び出してきたマンガ


先日、ずっと読みたかったしりあがり寿の『あの日からのマンガ』を日本の友人から頂いた。

あの日というのは、3.11なのだけど、本当に素晴らしいマンガだった。

もちろん、以前からしりあがり寿のことは知っていたし、数冊読んだことはあるが、それほど好きな作家ではなかった。

多分、単なるシュールで脱力系の書き手だと誤解していたのかもしれない。同じシュールで脱力系なら、最後にしっかりとじんわりとさせる小田扉の方が好きだった。つまり、ボクにとって、以前のしりあがり寿の、どこにもいかない面白さというのは、キャピキャピしたキャピタリズムの消費と情報と労働の洪水で摩耗した心をくすぐるだけで効能のない薬みたいなマンガだと思っていた。

しかし、それは誤解だった。

『あの日からのマンガ』は、3.11によって、凡庸で、苦痛でもあったけれど、精神や思考の基盤であり、永続的に続くと信じていた日常が崩壊したのに、それでも無理矢理「3.11がなかったかのように」すでに存在しない「終わらない日常」を
あたかも歩んでいるかのように振る舞うことで、なんとか心の平安を取り戻そうとしている日本人に対しての痛烈なメッセージとなっている。

様々な話のオムニバスによってこのマンガは構成されている。

その幾つかの話には、開けば災いを引き起こすパンドラの匣の一番底にある「希望」が明確に描かれている。

それはもちろん楽観的な未来の希望ではない。

その希望は、最悪の、最悪の、さらにもっと最悪の向こう側に咲いている一輪の美しい花のようなものだ。

もしかすると希望と呼ぶには心もとないような脆弱なものかもしれない。

きっとそうかもしれない。

しかし、同時に、3.11以降、取って付けたような、安心安全楽観を心の底から信じることもできないし、癒されることもない。

それは、腹の奥が痛いのに赤チン塗るみたいなものだ。

このマンガの『希望』を目の当たりにするによって、きっと無視しようとしてきた本当の現実が目の前に現れてくる。

そして人は本当の意味での心の平安を取り戻すことが出来る。

帯にある「たとえ間違っているとしても、今、描こう」と思いました」という言葉の通り、間違っていることは恥ずかしいことではない。冷静な振りをしているよりも、騒いで間違った方がカッコいいとボクは思う。

そんな、現実よりも二歩踏み込んだマンガ、この秀逸なマンガをまだ読んでいない人は是非とも読んでもらいたいと思います。

日本でこれからなにが起こっても強く生きていられるかもしれないと思えるマンガです。

すっごくお勧めデス!!


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アロエはすごいんです



先日
ダンボールで指を切ったんです。

チャっと。

イタッて思った瞬間に、指に血がジワーッと。

それで指をくわえてチューチューと血を吸っていました。

切った場所が、店内だったので、そこになんと売り物のアロエがあり、あ、アロエだと思いました。

実はですね、我が家のおかんは大変なアロエ至上主義者で、なにがあっても『アロエ塗っときゃあ直るけえ』と言う人だったので、生傷が耐えなかった少年時代はアロエと親友でした。

ぼくは、その売り物のアロエで一番売れなそうな、しなびた感じの鉢のアロエの端っこをパキっともいで、果肉を指の切れた部分に塗り込んだら、目の前で傷口が小さくなっていき、その後血も出ませんでした。

すごいなあ、アロエ。

大体のことはアロエでいけるんじゃないかと思いたくなります。

心の傷もアロエで直るかもね。

かもよ。

まじまじ。

トラウマとか、アロエで直せばいい。

いい。

どうやって塗るかだな。

問題だな。

そこな。

飲めばいい、心は体のどこかにあるんだからな。

でも、アロエ苦いけどな。

口内炎になった時に口の中に塗って苦かった。

でも直った。

アロエはすごい。


そういえば、この間久しぶりに冬の名物のオリーボーレン食べたけど、油玉という名前通り小麦粉を油で揚げただけの素朴な味でした。

味を素朴と表現する時って、ギリギリの褒め言葉だなあって思います。

素朴さって、向こうから来る味ではなくて、こちらから分かろうと努力しないとよさが見つからない味です。

踏み出して、見える小さな花みたいな。

ププ。


話は変わりますが、この間、ポーランドのケーキを頂いたんです。

ケーキっていうか、パンケーキっていうか、蒸しパンのポーランド版っぽかったのだが、頂いて目の前で食べて、心の中で思ったのは『微妙』でした。

目の前で目をキラキラさせてリアクションを待っているポーランド人にボクが言ったコメントは『自家製ケーキの母の暖かみがある味だね』でした。

微妙なコメントですね。

そして食後、モアッと独特の匂いが込み上げてきて、後口が異常に悪くて、その人が部屋を出た瞬間、食べ残しを口に入れて、一気に珈琲をがぶ飲みしました。

若干カルチャーショックを感じる味でした。


それにしても、フライドポテトはオランダの外食の王様なんですが、フライドポテトのボクの中で大好きな店が、アムスのヨルダン地区にあるんです。

そこはね、人を連れて行っても誰も『すごくおいしい』とは言ってくれないので、一般性はないのかもしれない。

でも、ボクには本当に美味しいなあって思うんです。

なんでかはよくわからない。

トルコ人の夫婦がやっている店で、特に綺麗な店でもない。

油にまみれたオランダのゴシップ誌が数冊置かれた店で、特別なことはしていない。普通に揚げて、普通に塩をかけているだけ。

だけど、食べた瞬間、これだ!って思うんです。

毎回。

このほくほく感と、塩感と、焦げ味とのバランスが懐かしい感じがするんです。

そんなに小さい頃フライドポテト食べた記憶はないんですけどね。

懐かしいと思う味。

そういうことってあると思うんですよね。

誰もあまり特別美味しいと言わないけど、ボクにだけは感じる特別感なんですよ。

たまにあのフライドポテト食べたいなーって思うんです。

そんな店、あの店くらいです。

出てきて、夢中で食べて、フホーって店を出る。

自転車の鍵を外しながら、また来ようと。


そうそう、昔ね、高校時代に通ったラーメン屋さんがあるんですよ。

安いだけが取り柄のラーメン屋さんだったんですけど、ボク好きだったんです。

多分3年間で100杯は食べたと思うけど。

確か一杯250円。

さえない親父一人でやっていて、入るとジャンプ片手にカウンターに座って注文すると愛のない感じで出てくるんです。

スープはすごく甘ったるくて、化学調味料も沢山入っていて、しかもカンスイの匂いがプンとする麺で、やっぱり友達を連れて行っても反応悪かったんですけど、ボクは大好きだった。

100杯食べたのに、おじさんと一言も喋らなかったのもポイント高い。

究極の無愛想で。

会話をした記憶がない。


でも、ある時なんでこのラーメンが好きなんだろうとは考えたことはあります。

小さな頃にずっと食べていたラーメンの味になんとなく近い。

という結論になりました。

高校生時代の結論はここまで。

つまり、懐かしい味と言えるかもしれませんが、懐かしい味ということが、美味しいに繋がるかという理屈が欲しいなと今のボクは考える訳です。

たとえば、子供時代の全ての会話は壮大な無駄話なわけじゃないですか?家族に対しても、近所の人とも、友達とも。

その無駄で無邪気な時期にせっせと食べた味によって、その人の大人になってからの味の趣向というものが決められているわけです。

その時期に味わった味を、美味しいと思うのは、きっとその時間を愛おしいかったと感じているんだと思うんですね。

記憶にはすっぽり抜け落ちているけど、味覚として残っている。

そんな気がします。

だから楽しかった記憶と、美味しいと思う味はイコールなんだと思いますよ。

ほら、女性のお化粧は、自分が一番よかった(モテていた)時期の化粧のやり方を続けるっていうじゃないですか?

あれと同じです。

そんなわけで、自分がどんな味が好きかということで、きっとその人の楽しかった時期も分かるのかもしれません。

かもですよ!!


それにしても昨日は、多分日本10万人くらいいるだろう、放射脳の方々にとって(#
`∧´)な一日でしたね。

もしボクが魔太郎なら『このうらみはらさでおくべきか〜』ってあいつとこいつとそいつの顔を本物のどじょうに変えるところでしたよ。

プンスカ!!

そんなどうでもいい話でした。


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MERRY CRISIS AND A HAPPY NEW FEAR



師走ですねー。


師走です。


全くよき事がなかった感がある2011年もあと少しですね。


本当に。


そういえば、最近よくこの日記を読んでいる人から知っている人、知らない人含めて、ちょこちょこメール貰うんです。

大体が原発や放射能について、誰とも喋れなくて、全く関心なくて困っておりマウスって内容です。

そうなんだろうなー。

でも、思うんですけど、過疎の小学校の学生数くらいのアクセス数のこの日記を読んで、かつメールを書いてくる人がいるってのは、もしかして個人個人はみんな放射能に対しての危機意識と、原発に対しての問題意識を持っているけど、それが共有出来ない空気が流れているんじゃないかと思うんですよね。

きっとそだねー。

例えばですね、原発に関して言うならば、今まで原発を推進していた合理的な理由というのは3つあったと思うんですよ。


1・安心・安全
2・
環境に優しい
3・コストが安い


今に至っては全てに(笑)って付くんですけどね。

1・安心で安全ということでいうなら、今度の地震で簡単に壊れてしまうものだということが現実だったわけで、安心安全はファンタジーだったんですね。他の原発の
女川も、福島第二も、東海第二も常用の外部電源が壊れちゃって、たまたまあいつのようにならなかっただけなのです。あいつに至っては、ご存じのように4つも爆発しちゃったわけです。

2・環境に優しいというのも、まあね福島県と同じ位の範囲が『放射線管理区域』以上の放射能レベルになったことを考えると、環境には優しくない。なんで法律で管理しないといけないかというと、あんまり体によくないからだからです。ちなみに白血病の労災基準は年5ミリシーベルト、ご存じのように、現在、国が国民に課しているのが年20ミリシーベルトです。まあ!!

現在、原発推進をする人の合理的な拠り所がですね、3のコストが安いですが、この間の国の発電コスト検証委員会でまとまったコストは、一キロワット当たり時で8.9円でした、しかもそれには除染費用は入ってない金額なので、本当はもっと上がるんですけどね。

まあ、ほとんど火力発電の値段と変わらない結果になりました。

じゃあ、火力でいいじゃん。

それが

というわけで、あとは精神論以外に原発を続ける合理的な理由はなくなってきたわけです。

それがじっちゃんの遺言だったとか。

付け加えるなら、今ほとんどの原発が止まっていますが、停電の話は聞きませんね。

そんなわけで、たかだが電気の事で無用なリスクを負う事はありませんよね。


でも、ボクが本当に、プンスカしているのは、そこじゃないんです。

ほら、日本の皆さんって一生懸命働いて、生活しているじゃないですか。

仕事だ、子育てだと、日々忙しく。

そんな人にですね、人と喋っていて『あ、また原発の話か、どうなるわけでもないのに』と思ったりとか、はたまた『この人放射能の話題に興味ないのね、じゃあ話変えるか』と気を使わせたリだとか、『ここの線量はいくつなんだろう』と洗濯物を片付けながら考えさせたりだとか、『このキャベツはセシウム何ベクレルあるんだろう』と思いながら料理させたりだとか、『子供をここにいさせて大丈夫だろうか』とか子供の寝顔を見ながら悩んだりだとか、『あはははは、(でも、私楽しんでいいのかしら、今この間にも福島の人たちは)』と心から楽しませてくれなかったりだとか、夫婦の会話で『またその話か、みんな大丈夫だからここにまだ住んでいるんだろう』とか、遅く帰宅したご主人と台所で話ながら、怒鳴られて『ちゃんと考えてっていっているでしょう』と反論したりだとか。今まで、普段の生活の中では、パラレルワールドに存在していた放射能といきなり向き合わなくてはいけなくて、そしてそれは、匂いもなくて、見えなくて、数字でしかわからなくて、人によって『大丈夫』だとか、また別の人は『危険だから避難した方がいいとか』言っていて、床についても『眠れないわ、どっちが本当なのかしら』と考えて眠れなかったりとか、とか。今まで感じた事のなかった孤立感や、不安感や、無力感や、疎外感などを感じている。

ボクがプンスカしているのは、原発によって今まで考えなくても、そして感じなくてもよかった気持ちの全てを産み出している事実そのものなんです。

そういう人々の気持ちを、封筒にぎゅうぎゅうに押し込んで、政府とあの会社に送りたい気持ちになっています。


プンスカ!!


とまあ、色々ありますが、私一人が頑張ったってなんにも変わらないからというのもまた違って、例えば、東京と大阪で、選挙人名簿に登録している人、すなわち選挙があるときに、選挙ありますから投票してくださいねの葉書が東京都と大阪市から来る人は『原発都民・市民投票』に署名出来ます。



こちらが『原発都民・市民投票』のサイトです。



これは普通のネットの署名とは違い、直筆と判子か拇印が必要ですので、お近くの署名が出来る場所に、買い物帰りや、映画の帰りに立ち寄って署名してみましょう。


是非ともに。


これは署名が集まってたあと、原発はあってもいい、ない方がいいという市民投票をして、その結果『原発ない方がいい』が過半数になれば、電力会社の大株主である東京都と大阪市が『原発やめてくれ』
といってくださいねという住民投票をするための署名です。

ああ、説明が長くなっちゃう。

もしこれで変わらなくたって、また次の機会があります。署名したって、デモしたって変わらないし意味がないと考えるのは、自分には意味がないと言っていることと変わらない気がします。


国はあなたであり、あなたしか国を変えられないんだから。


今年は本当に『MERRY CRISIS AND A HAPPY NEW FEAR』な年でしたが、来年こそは心の底から『MERRY X'MAS AND HAPPY NEW YEAR』と言える年にしたいですね。


長くなりましたが、お腹が空いたので、ご飯食べます。



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ルイヴィトーーーーーーーーン


昔の話だけど、突然ベルギーのフランダース地方から来たアーティストが部屋に入って来て、

『店でオランダ人の店員に、オランダ語、いや、まあフランダース語だけど話しかけたらさあ、英語で返されたんだよ、ちっくしょーオランダ人めー』

と怒っていました。

基本オランダ人は、ベルギー人のことをなんとなく馬鹿にしている傾向にあって、多分ニュアンスとしては、京都のお人が、大阪の人をちょっとお下品な人だと感じている感じというか、瀬戸内沿岸の人が、日本海側の人をちょっとだけ暗い人ばかりなんじゃないかという扱いしているというか、東京の人がちょっとだけ北関東の人が皆んなジャスコで買った服だけ着ているんじゃないかみたいな感じが混ぜこぜの感情を抱いている気がします。

気がするだけです。

しかしまあ、オランダ人がベルギーのことを喋る時に、ネタとして面白おかしく喋る傾向にはあるかと思われます。

思われるだけかもしれないですけど。

でも、まあ、どっちにしても、例えばポルトガルから見れば、オランダとベルギーの違いなんでどうでもいいだろうし、東京から見れば、瀬戸内側と日本海側の差異なんて、ヒラメとカレイの違いくらいどうでもいいですけどね。

それはいいんですが、その英語で返されたベルギー人にボクが提案したのが『フランス語で喋ってみたら』でした。

後日、フランス語で喋ったら、その発音にベルギーっぽさを感じたオランダ人がオランダ語で返してきたらしいです。

ものすごい悔しいと。

殴りたいと。

まあまあと言って、ボクは話題を変えようと、村上隆の話を始めたのですが、その時に『村上隆がルイ・ビトンのCM作ったんだけど見た?』と言ったら『なにそれ?ルイビトン?なに?』『なんだよー有名なブランドじゃん!!ルイビトンだよ』と言ったら『オー ルイヴィトーーーン』と言ってワッシャッシャシャと大笑いしていました。

殺す、とちょっと思いました。

なんでそんなことを思い出したかというと、youtubeで"Nederlands en Vlaams zijn verschillende talen"『オランダ語とフランダース語は違う言語』という番組を見たからです。

まあこの番組を見る限り、両者は発音の違いは気になりながら、ある単語以外は会話は成立しているようです。しかもどっちにも両国の人が住んでいるってことですね。オランダ人ベルギーでも自転車乗っているし。違う言葉というのなら、日本の方言レベルの違いなんじゃないのかなという気もしないでもない。違うと言いたいみたいなところはあると思います。

例えば、ボクが青森のラーメン屋さんでラーメン食べていた時に、ものすごい雨が降り始めて、店のおばさんに『こもりもっていぐ?』って言われて『こもりってなんですか?』というと傘を指差したんですよ。その後行ったファミリーレストランで、隣の席のおばさん達の話がほとんど分からなかった。でも店員は標準語で『メニューの方はお決まりでしょうかー』と言ってなんか不思議な感じでした。あと山形で、ホテルの場所を聞こうと駅前の交番に入って高齢の警察官に聞いた時も、ほとんど分からなかった。まるで海外に来たみたいだと思いました。まったく別のケースなんだけど、仙台とかは全くの標準語で喋っていて、なんだか居心地悪かった。

ボクだけかもしれないですが、英語喋っているときと、日本語標準語喋っているときと、岡山弁喋っているときと、オランダ語喋っているときとキャラが変わるんですよね。

オランダ語はまだまだ辿々しいので恥ずかしがり屋になり、英語では日本語では言えないような文句がスラスラ言えて、日本語の標準語では喋っているときは割に論理的で、岡山弁で喋っている時にはノータリンになります。

それぞれの言葉の持つ語感や、性質に引っ張られるんでしょうね。

どうなんでしょうか。

みんなボクのようにキャラ変わるんですかね。

まあどうでもいいことなんですけどね。

それで、最近よく思うのですが、中国の挑発とか、アメリカの陰謀とかよくいうけど、311以降の日本人にとっての一番の脅威は日本国政府そのものなんじゃないかということです。

ちょっと愕然とする事実です。

おかしいなあ。

まもなくあれから9ヶ月。

はあ、色々残念すぎる。

お花畑に帰りたい。

でも、人が放射能を忘れても、放射能は人を忘れません。

人間の精神の脆弱さに比べて、なんと物質の堅固なことか。

だから、今変わらないと、いつ変わるのか?

今考えないと、いつ考えるのか?

って思いますが。

今日はなんだか、むしゃくしゃして、
もう一回『インスタント沼』を見て、日本の嘘と意地と見栄で塗り固められたしょうもうない日常を洗い流すのだーと改めて思いました。

むしゃくしゃして。

むしゃくせんせい。

そういえば、昔、友達が『会社で、上司にこんなこと言われて、わたし、むしゃくしゃして』を言い間違えて『ムラムラして』と言っていました。

興奮してどうする。

そして小学生の時に全国こども電話相談室に、むしゃく先生と話したくて電話したことがあります。

採用されませんでした。

ちなみにこども電話相談室で聞いた質問は『カマキリのメスは、オスと交尾した後、オスを食べちゃうって本当ですか?』でした。

そしてもっとちなみに、係の人が番組のあとでボクに電話してきて、質問に答えてくれました。

でも、忙しかったみたいで『本当です、メスは卵を産むための栄養が必要だからですよ、では』と言ってすぐ切られちゃいましたよ。

ボクたちも、政府や、ヘッジファンドや資本家に食べられちゃうかもね。

ぷぷぷ。

ではでは。

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やっぱり明けない夜はなかった!


先日、友達がおちびちゃんと共に、我が家にやってきました。

そのおちびちゃんはキャッキャッキャとはしゃいでいたんですが、お母さんが飲んでいた、赤ワインのグラスをポーンと蹴って、ゲストルームの白いカーペットにドベーンとつきました。

笑顔で大量の塩を掛けながら、あちゃーとは思っていましたが、でもまあ、引っ越して以来4年間で、随分カーペットは汚くなってきてはいました。

カーペットは取りあえずで『いつかフローリングにしよう』とはずっと思っていたんです。

でも、その『いつか』が『いつくるんだろう』と人ごとのように思っていました。

4年間、ずっと自分で決められる『いつか』を『またいつか』と先延ばししていたんですよ。

そのいつまでたってもこない『いつか』が、先日やっと来ました。

ピコーンと。

このやる気は逃してはいけないと、すぐさま近所のフローリング屋さんに行きました。

その店は、高級だけど在庫のない板を格安で売っているんです。

そして、ボクは、2つくらい候補の前で悩んでいたんです。

店のおじさんが、1ユーロコインを出して『裏か表かで決めんさるか?』と言うくらい、思い詰めていました。

そして
やっと明るめの色の、6畳程度の高品質のフローリング板と下に敷く緩衝材を買いました。

そして部屋に帰って、カーペットを外し、切ったところ、マメに掃除機をかけていたのにも関わらず、ものすごい砂とか埃にまみれていました。

カーペットは不衛生というけど、本当だなあと。

まあ、フローリングに関してはオランダに来てから自宅や友人宅を含めて100畳くらい敷いてきたのでセミプロと自認していたんです。

どんどん切って、短辺を繋げて、5列くらい出来たところで、長辺を繋げようと思ったんです。

すると、ある箇所を繋げようとすると長辺の接続部分がパコッと外れてしまう。なんどやっても外れる。

おかしいな。

それで、顔を床につけて見ると、ギリ分かるか、分からないかくらいだけど広範囲にわたって隆起しているんです。

だからその隆起によって、板に変な圧力がかかってフローリングの板も湾曲し、接続部分が合わさらない。

でもですよ、板の下の板の研磨するのはすごく嫌だ。

業者さんだったら持っているだろうけど、ボクは研磨機を持っていない。手ヤスリでスリスリするのもやだ。

それで考えたのが隆起していない場所で出来るだけ多くの板を完成させ、それをスライドさせて隆起部分をカバーさせることで乗り切る方法。

この方式で、なんとか乗り切りました。

って今さらっと言いましたが、この方式を思いつくまでに実に1日考えました。

それまでは試して失敗、失敗して号泣、失敗して自暴自棄を繰り返して、麦茶をがぶ飲みして、を繰り返していました。

失敗に包まれた部屋で、大の字になって『こりゃおえん無理じゃ』と思った事も50回くらい。

逃げ出したくなったことも20回くらい。

でもまあ、フテ寝してもですね、小人が出てきてなんとかしてくれるわけでもないですし、この苦境を乗り越えるのはボクしかいないわけですから、『考えろ、考えろ』と考えてなんとか乗り越えたときの恍惚感と言ったらなかったです。

そんなわけで1日で終わるはずの床張りが3日もかかりましたが、綺麗に出来まして、大変素敵な環境が手に入りました。

やっぱりねー、カーペットより、フローリングの方が100倍清潔。

この部屋の匂いだと思っていた、あの匂いは実は埃の匂いだった事実。

明けない夜はないねえと、しみじみ綺麗になった部屋を何度も眺めています。

うふふふふ。

まあ、それはいいのですが、実はおかんの実家は大工さんで、ボクが高校の時、就職しようか、進学しようかと悩んでいたんです。

そこで、小さい頃から『大工は食いっぱぐれない』とおかんがよく言っていた事を思い出し、仕事を継いでいる、いとこに、お正月に思い切って聞いてみたんです。

『わし大工に向いとるかなあ、えへへへ』と。

すると、いとこは、ビールを飲みながら『ひろは、大工は向いとらんな』と向いてないと太鼓判をボクに押しました。

そんな、自他ともに認める不器用なボクでもフローリングくらいは出来ました。

ということはですね、

わしでも出来るということは、誰だって出来る

ということです。

皆様、機会があればご自分でやってみてください。

仕上がったときに自然に溢れる微笑みは、まさに『ものつくりの素晴らしさ』そのものです。

そして思うのです、


わし、男らしかね!


と。


あ、あと先日見てちょっと脇の下に嫌な汗が出た映像。

今年の日本の地震の発生をビジュアル化したものなんですけど、震源地は、岡山と鳥取以外ほぼ真っ白になっている。

岡山すごいな、色んな意味で。

地震学者の人が『地震が本気を出すとすごい』と言っていたが、本気になりつつあるのかもしれないな。

でもそんな風に思いたくないので、是非日本で大規模の地鎮祭でもしたい気持ちになってしまいました。

日本中の神主さん集合してください!!

酒蔵の皆さん、酒もってこーいって思いました。

そんな話。

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好きな言葉、嫌いな言葉


今日、別に人に聞かれた訳ではないけど、好きな言葉、嫌いな言葉を考えていました。

好きな言葉は、『明けない夜はない』です。

これってなんか実感することが多くて、苦境の中『明けない夜はない』って思いながら、最後の一滴まで頑張って、奇跡的に終わって『明けない夜はない』って何度も思ったものです。

好きな言葉って、きっと座右の銘ってことだと思うんですが、ボクはこれが一番嘘のない真っ当なポジティブシンキングだと思っています。

さて、逆に嫌いな言葉は、と考えると、最近では『ベストミックス』です。これってなんで嫌いかというと、なんかね、日本の空気を読み、議論をせず、決断を先送りするところを、余すところなく集結させた言葉なんですよね。もしなんのベストミックスなのか分からなかったらググってください。

ほら、なんか金持ちの人が、ホステスに囲まれて、『いやあ、今回は下手打っちゃいましたね、なんとか存続させるいい言葉ないですかねー』『はい、こちらつまみのミックスでございます』『ほう、カラスミうまいな、フォアグラもなかなか、山田君思いついちゃったよ、この未曾有の苦境をくぐり抜ける言葉』『なんでしょうか』『ベストミックスってのはどうだい、山田君?』『素晴らしいですね、それですよ』『わっはっはっは、今日は払いは山田君だな』

もしこの言葉をメディアで話す人の顔を見てください。してやったりの顔していますから。まじまじ。

まあこの言葉って、国民の関心がなくなり、ほとぼりがさめるまであれを持たせようという魂胆を感じます。その後はまたフィーバーが始まると思っていると。

皆さんセシウム137の半減期くらいは覚えていましょうね。

それはいいとして、最近、そんなに日記を書いていないのは、ずっと他の事で書きまくっていたからです。その文字数十数万字。

書いたねえ。

書いて書いてだったねえ。

面白いなと思うのは、幾らでも書ける日と、全く書けない日があるってことです。

あれなんだろうなって思うんです。

月の動きとかと関係があるんですかね。

一日机に前にいて、一文字も書けない日は、ビックリするほどの罪悪感に苛まれなます。今日過労死した人もいるだろうに、ボクは生産性0だったなあと。しかも前日ものすごい書けて、自信を回復しても、今日書けなかったというのは事実な訳です。

はあ。

とまあ、どうでもいいですけど、中国人のお友達から、今度会おうという話になったのですが、オランダで運転免許を今取っているところなんですって、彼女。

それで、筆記試験に通ったら会おう、なんていっているんですが、二回も落ちちゃって『あたし、自分の脳みそが豆腐になった気がします(涙)』と書いていました。

ああ、そうだな、生産性が0の時って、脳みそが豆腐になった気がしました。しゅんとしますよね。

先日書き終えたんですが、なんとなく慣性の法則で日記に書きました。

そんなわけでとりどめのない、そして、内容のない日記でした。
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